津軽三味線や民謡、和太鼓など、伝統芸能を発信する様々な芸能のアーティストが所属しています。
(日本民謡京極流 家元)
秋田県河辺郡雄和町に生まれる。
5歳で三味線を習い始め7歳で初舞台を踏む。
大阪へと移り、関西に民謡・津軽三味線を広める。その後日本民謡京極流を設立。
現在、民謡・津軽三味線等、全国大会の審査員などとして活動中。
日本民謡京極流 師範
幼い頃より津軽の手踊りを習い、18歳の時民謡の勉強のため大阪へと移る。
京極利則と結婚後、家元の片腕となり指導に力を注ぎ、
現在は幅広く活動中。
小学生の頃より同じ京極流で三味線と民謡を学んでいた「あつ子(写真左)」と「ゆか(写真右)」。
津軽三味線や民謡といった純邦楽を新しいスタイルで表現している。
小学校の頃より同じ京極流で三味線と民謡を学んでいた『あつこ』と『ゆか』が、自分達の学んできた津軽三味線や 民謡といった純邦楽を新しいスタイルで表現。 2001年に女性津軽三味線ユニット『来世楽(ラセラ)』を結成。 同年より民謡大会等で活動を始め、各地で好評を得る。 両名とも京極流師範代の腕前を持つ実力派で、津軽三味線と民謡のみならずオリジナル曲や、沖縄民謡を邦楽風に アレンジするなど幅広い活動を行っている。
山本朗生、植木陽史、平浩之、祝丸。
ソロプレイヤー四人が、ひとつの「縁」によって結ばれ、
「宴」 を奏でる。
今始まる、和奏人「宴」のうたげに耳を澄まそう。
和太鼓集団「鬼太鼓座」で修行後、大阪で和太鼓演奏集団
「独楽」を結成した植木陽史、
和太鼓集団「河童」の研修後、兵庫にて
結成した祝丸(ノリマル)、
独立後、京都でソロ活動を行う山本朗生、
都の和太鼓グループ「BATI-HOLIC」の平浩之、
それぞれの団体で培ってきた個性がぶつかり合う、つながり合う。
ソロプレイヤー4人が、ひとつの「縁」によって結ばれ、「宴」を奏でる。
今始まる、和奏人「宴」のうたげに耳を澄まそう。
2001年、植木陽史(うえきようじ)を中心に、
関西を拠点として結成した和楽器演奏集団。和太鼓だけではなく津軽三味線・琴・尺八・篠笛・唄などを加え、今までにない独楽独自の世界観を造り上げて来た。
一般公演、芸術鑑賞会(学校公演)、冠婚葬祭(イベント)、東日本大震災復興支援公演。
さらに、あらゆるジャンルの芸能とのコラボレーションから生まれる新たな世界。
2001年、植木陽史(うえきようじ)を中心に、和楽器をこよなく愛する者たちが
関西を拠点として「和楽器演奏集団 独楽(こま)」を結成。
和太鼓だけではなく、津軽三味線・琴・尺八・篠笛・唄などを加え、今までにない
独楽 独自の世界観を造り上げて来た。
2002年に旗揚げ公演を成功させ、2005年からはサウジアラビア、アルジェリア、エチオピア、中国、フランスなどへの
海外進出も果たす。
しかし彼等は決して満足することはなく、今この瞬間も和楽器の魅力、そして
日本人であることのすばらしさを伝え歩いている。
所属アーティスト以外にも、音楽家やエンターテイナーなど、参ゆかりのアーティストを派遣できます。
上方落語・ウクレレ落語・後ろ紙切り。
京都産業大学卒業後、1998年、林家染丸に入門。
落語界屈指の多芸な落語家。
【落語】落語家としても実績豊富で、笑いの多い「滑稽噺」や舞踊が入る「音曲噺」、数多くの芸事を入れる独自の「演芸落語」を得意とし、珍しい古典落語の復活も手がけている。
【芸事】明るく陽気な「落語160席」、楽器を使った「ウクレレ落語」、紙を見ずに切る「後ろ紙切り」、後ろ向きで踊る「後ろ面」など、様々な芸の持ち主。
歌とものまねと笑いの芸「ものまね歌謡」も得意とする。
1993年に国際マジック大会入賞後、1995年「平成萬才塾々」でデビュー。文化庁無形文化財になっている日本の伝統的な古典奇術、「和妻(わづま)・手妻(てづま)」を正統に継承するマジシャン。
MORE...「和妻(わづま)・手妻(てづま)」を正統に継承するマジシャン
1993年に国際マジック大会入賞後、1995年「平成萬才塾々」でデビュー。
以来、多くのホテル・劇場・寄席・テレビ・ラジオ・CM等で出演のほか、
マジック大会でのゲスト出演やタレントへのマジック指導も行う。
華麗な技と巧みなトークで関西マジック界に新たな旋風を巻き起こし、
音楽に合わせた軽快なステージマジックや、子供から大人まで多くの方が楽しめる
おしゃべりマジック等、数多くのステージで好評を得ている。
古典にこだわらず、伝統を残しつつも現代風にアレンジしたりと工夫を凝らしている。
1974年2月13日生まれ、京都市出身のA型。
本場ニューオリンズ仕込みのエネルギッシュなトランペットとヴォーカルで老若男女すべての人々を楽しませる。「河洲虎丸」として、夏場は音頭取りとしても活躍
トランペット・音頭取り
1974年2月13日生まれ、京都市出身のA型。
自ら作ったBLACK BOTTOM BRASS BANDを離れ、
単身New Orleansへ渡り、現地のミュージシャンと生活を共にし、
New Orleansの黒人社会の中で様々な経験を積み、
音楽の幅を広げ、タフさを身に付けた唯一無二の存在。
本場ニューオリンズ仕込みのエネルギッシュなトランペットとヴォーカルで、老若男女すべての人々を楽しませる。
4本家鉄砲節河内音頭 鉄砲光丸の直弟子「河洲虎丸」として、夏場は音頭取りとしても活躍。